はじめに |
思い起こせば5月の末。仲間とG.W.に四万十川を下った際、唯一船を持っていなかった鈴木が「俺もファルト買う」と宣言 したので、いつもお世話になっている神田・ミナミへと足を向けた。清水さんの指導を受けてファルト選びも無事終了。 何気なく店内をブラブラしていた我々の目にとまったのは「津軽海峡横断カヌートライアル」の参加者募集ポスター。恐る 恐る清水さんに、「これ、ファルトで大丈夫っすか?」と聞くと、「大丈夫、大丈夫、シーカヤックより参加費安いしお得だよ!」 と余裕のお答え。「ボイジャー360でも?」と聞くと、「気合でなんとかなるでしょ〜」 この言葉にとっても弱い我々は、 店を出た時にはすっかりやる気満々になっていたのでありました。
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しかしながら、海で漕いだ経験が無いのにいきなり津軽海峡ってのはかなり不安。大会まであと1ヶ月半しかないじゃない か〜。早速本を読みあさって準備を開始。パドルフロート、ビルジポンプ等の装備を揃え始める。6月初めに、ミナミの企画 である本栖湖でのセルフレスキュー講習に参加。積極的に沈させて、リカバリーの練習。静水でうまくいくのは当たり前だが これならなんとかなるんじゃないかと勘違い。清水さんのプッシュもあり、ここで大会参加を最終的に決意した。それからは 各々、走ったり腕立てをしたりと、日々思い思いのトレーニングを重ねる。6月中旬には川を遡行して鍛えようと那珂川で トレーニング。しかし、鮎釣り師が多すぎる、と言い訳をしてあっけなく遡行断念。代わりに流れの速い場所を見つけて、 ひたすらその場で漕いでいたがすぐにバテバテ。鈴木も沈してしまったりと、我々の前途に暗雲が立ちこめる。
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7月、大会2週間前。海での経験値を上げるべく、伊豆在住のおぎんさん達に連れられて西伊豆ツーリングに行く。洞窟 探検をしながらのんびり堂ヶ島〜雲見まで漕ぎ、海上でのバランス感覚を磨く。途中の砂浜では波乗り大会。積極的に波と ぶつかり、ブレイスの入れ方・レスキューなどの実地練習に励む。ここで得た感覚は非常に役に立った。津軽行きに関しては みんなから結構脅されたが、この経験で海というものを以前より身近に感じる事ができ、ひょっとしてなんとかなるんじゃ ないか?と怖さを知らない我々は、海峡横断へ向けて俄然やる気が湧いて来たのであった。
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7/14(金) |
いよいよ出発。参加を決めた頃は「リタイヤ覚悟で行けるとこまで行こう」と思っていたが、ここまでくるともう「死ぬ気で 完漕」という気持ちになっている。あと心配なのは天気だけだ。しかし予報はイマイチ・・まあ、とにかくやるしかない。 仕事そっちのけで20:00柏集合。22:00品川発五所川原行き高速バスに乗り込む。3人がけの席でのんびりできるな〜 と思いきや、最後列の4人がけの席でちとがっかり。それでも結構快適でぐっすり就寝。
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7/15(土) |
8:15五所川原着。バスを乗り継ぎ、小泊村集落センターに着いたのは10:30頃だった。参加者の中でも結構早い到着のようだ。 とりあえず昼飯を食べに外に出ると、いかを焼いているおみやげ屋が並んでいたので、早速舌鼓を打つ。自分等は米もやたら 食べたかったので、おばちゃんにお願いしたらおにぎりを作ってくれた。さすがはおばちゃんキラー福島。なんでもご主人は 今回の伴走船の船長だというので、天気のことなどいろいろと情報を収集する。
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その後、センターの大広間で休んでいたら、ぽからさんのホームページ「Faltboat.Net」の掲示板で知り合った のっぽさんが現れた。もう船を組み立てているとのことなので、早速我々も組み立てに行く。センターから明日の出発地点 まで結構遠くて運ぶのが大変だったが、のっぽさんが車で船を運んでいってくれた。感謝! 出発地点に着くと、すでに いろいろな船が来ている。同じく掲示板で知った小泉さんもすでに到着していた。ミナミから参加する本間さんは自分等と同じ くらいのカヌー歴で、450Tでの出場だ。清水さんにそそのかされた(?)というのも自分等と一緒。かなり心強くなる。 さあ、船を組もう。前回の伊豆で欲しくなり、急遽手に入れたフットブレイスの取付けには細心の注意を払う。しばらくして、 京都から大國谷登場。その後清水さんも登場。清水さん、大國谷のマナティにちょっと心配そうだ。
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船検後、センターでミーティング。いきなりリタイヤの方法や救助方法・海上撤収の話。挙げ句の果てには保険料の話 になった。なんでも、保険会社はカヤックがとても危険であるという評価をしていて、かなり保険料が上がったそうである。 前回と同じ補償額だと保険料が1万円近くになるらしく、とても払えないので、補償額を思いっきり下げたという。 死んだ後のことなんて、我々にはどうでもいいことであったが、いきなりこんな話題から入ったので少し緊張してしまった。 続いて伴走船の漁師さん達の紹介。参加者からの「大体の航路を教えてください」という質問に、船長は「そんなの わかんねぇ。航路は潮と風と波によってその都度変わる。とにかく皆の安全を守り、全員が完漕できるように努める」 と答えていた。んー渋い。けどちょっと不安。
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ミーティングが終わり、地元のおばさん達が準備してくれていたバーベキューパーティーへ。生ビールが最高うまい。 サザエ、ホタテが山ほどある。おにぎり、とうもろこし、サラダ、肉を食べまくる。清水さん達は生でザザエを食べている。
これもうまい!。しっかしこりゃ食べすぎだ〜。ここで風呂に入りたくなったので銭湯へ。風呂にも入り、後は寝るだけ。しかし、 なかなか寝付けなかった。やばいと思えば思うほど眠れない。一睡もできなかったらまずいなあと思ったが、どうやら 12時過ぎには寝ていたようである。さあ、いよいよ明日だ。
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7/16(日) |
4:00起床。会社に行く前のような眠気は全くない。よーしやるぞ!心配なのは天気だけだ。急いで外を見る。何とか行けそうか? しかしこればかりは海に出てみないとわからない。まあ、とりあえずは「腹が減っては戦は出来ぬ」だ。うまい朝食をたらふく 食べる。しかし、船の上で腹痛になっては一大事。念のため福島に正露丸をもらい飲んでおく。これで準備万端だ。
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さあ、いよいよ出発だ。スタート前、清水さんに「この船は追い波に乗っていかないとすぐ向きを変えてしまい危ないぞ。 何がなんでも漕ぎ続けろ」と最後のアドバイスを受ける。約3リットル程の水分、ゼリーを5袋。お菓子等を積み、ドリンク 剤をのんで準備OK。写真撮影・選手宣誓後、ファルトを先頭にいざ出陣。
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岬まではファルトを先頭にして進み、全体のペースをダウンさせるという方針は昨日打ち合わせ済み。波も風も穏やかで、 快調に進む。当初は天候が悪いだろうから岬で引き返そうとのことだったらしいが、コンディションがいいのでそのまま続行。 このあたりまでは、周囲を見渡す余裕もあって気持ちよく漕げ、楽しい航行だった。
しかしシーカヤックはどんどん先に進む。前半は食いついていけたが徐々に遅れ、休憩がとれなくなって来た。水分を取ろうにも、 ペットボトルを探している余裕がない。とにかく、ハンガーノックにならないようにゼリーだけは頻繁に食べた。こうしているうちに 遅れていた大國谷がリタイヤ。続いて鈴木、残念。徐々に潮の流れが出て来ると船の進行方向が定まらず、労力を方向制御に 取られてなかなか前に進まない。やっぱりラダーorスケッグが必要だったか・・。時折雨も混じり波立って来た。
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うわまずい、膀胱が〜。漕いでいる最中は腹に力を入れているのでなかなか出ない。みんなが昼飯でSTOPしている地点に 遅れて到着。この機会を逃すと膀胱破裂だ。出発前、ペットボトルをくりぬいて「しびん」を用意したが、そんな余裕はない。 排水用のスポンジに吸わせて外に排出した。所詮海水と同じ成分、気にしない気にしない。やっと落ち着いたところで、 運良く近くにいた食糧船の船長さんが「めしもらったか?」と聞いてくれ、タモで渡してくれた。連絡が行き届かず、 もらえなかった人もいたそうだ。おにぎり2個、バナナ1本、いかを少々食べて出発。ん〜ちょっと右腕と両手指が痛い。
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出発してしばらくすると、波がめちゃくちゃ荒くなって来た。なんだこれは!? 目の前で、波が次々と壁のようにそそり 立ち、背後から追い波が襲ってくる。これが「恐怖の潮目」。年に数回あるかというレベルだったそうだ。時速7〜8km の流れ。漁船も引き返す程だったらしい。油断していると船がすぐ向きを変えてしまう。横向きになって波をかぶれば 完璧に転覆だ。前方で何艇か沈没。人が助けを求めている。やばいんじゃないか?自分は何もできなかったが、ベテランの シーカヤックのグループが救助に行っている。国際海峡倶楽部の越智さんもこの救助は表彰モノだといっていた。これでは 転覆したら再乗艇は不可能、即リタイヤだ。ここは踏ん張り所だ!かけ声をかけながら全力で漕ぎ続ける。死ぬ気で完漕 とは言ったが、やっぱり危険を感じると恐怖心がでてくる。とにかく漕いだ。何度か船が横になって波をかぶり、ヒヤっと させられたが無事クリア。伊豆で練習しておいてよかった〜。
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こんなのずっと続いたらやべえよ〜と思った所で船団は停止し、進行方向を修正。しばらくしてなんとか収まって来た。 しかし、今のファイトで筋力をかなり使ってしまった。腕が痛い。今度また潮目にぶつかったらもうダメかなあとやや弱気 になる。ここから先、潮の流れが速くてスピードが上がらず、先頭から離され始める。とにかく、なにがなんでもゴール してやろうという気合で漕ぐ。
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次第に霧が出始め、先にいる集団が見えなくなって来た。福島をはじめ、一緒に最後尾集団を作っていた仲間もいつの間 にか後方に下がり、頼りは横についてもらった漁船だけになった。あまりに遅れすぎた場合、途中でリタイヤ宣告を受け、 漁船に撤収させられてしまう。これはまずい。休憩もせずにひたすら漕ぐ。握力がなくなり、体全体で漕ぐ。フットブレイス があってよかった・・・。
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どういうルートを取っているのか全くわからなかったが、霧の合間からやっと陸地が見えて来た。感動だ。もう、どこでも いいからたどり着ければいいや。
しかし漕げども漕げども景色が変わらない。これは結構精神的に辛い。しかし漕がねばゴールにたどり着かない。 たまに横から思わぬ波を受け、緊張する。こんなところで沈してたまるかと自分に言い聞かせる。 岸に近づき、もうこれ以上はだめだというところでついに港へ。ここまで来ればもう、沈することはないだろう。 そしてついにゴ−ル!やった!
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無事ゴールし、船から下りたら足元がふらついて危うく倒れる所だった。それもそのはず、53km、10時間半も座りっぱなし だったのだから。だいぶ先にゴールしていたのっぽさん、本間さん達が来てくれた。無理矢理の笑顔を作って写真をとって もらう。「こんな船でよく来たねぇ」とシーカヤックの人に言われ、改めて自分の船を「よくやったなぁ」と感慨深く眺める。 後ろにいるはずの福島は?リタイヤ?いや、彼はきっとまだ漕いでいるだろう。先にゴールした人達はもうすっかり 帰り支度をしていたので、感動している暇もなく自分も片付け始める。しばらくして福島がついに到着。お互いよくやった なと、がっちり握手。いや良かった。良かった。それにしてもビリからワン・ツーフィニッシュってのも記念に残るなぁ。
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カヌーは漁船に積まれて小泊へ。一同はバスで旅館に向かう。どうやらさっきのゴール地点は、目標の松前港ではなく 別の港のようだ。やっぱりかなり流されていたのだ。無事だったから言えるけど、海峡を横断したっていう感じが倍増する。 松前のホテルに着いてみるとなかなか高級な旅館。部屋はファルト軍団一緒。なにはともあれ、とりあえずは風呂だ。 極楽だ〜。少し落ち着き、食事へ。疲れた体にそうめんがめちゃうまい。かにも最高。でも体はまだ揺れている。疲れて 1人1本割り当てられたビールが全部飲めなかったのは残念だった。心も体も満たされ、部屋に戻ると布団が敷いてあった。 吸い込まれるように爆睡。
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7/17(月) |
6:00起床。よく寝たが、まだ疲れが残っている。今日は天気がちょっと悪い。もし今日だったら果たして無事ゴールできた だろうか…? 青森へ行く電車の時間が早いので、一同慌ただしく旅館を出発。青函トンネルを初めて渡る。この海峡を カヌーで渡ったのかと思うと、不思議な気持ちになる。そしてバスに揺られて小泊港に到着。昨日の戦いを終えたカヌーが 港にズラリと並んでいる。他の参加者の方々とゆっくり余韻に浸りたかったのだが、我々は帰りの電車・飛行機の関係で すぐにカヌーを洗って撤収し、小泊の地を後にした。みなさん、本当にお世話になりました。
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おわりに |
津軽海峡横断、とにかくすごい経験でした。集団からかなり遅れてしまったにもかかわらず、完漕させて頂いて本当に感謝 しています。もちろん、こんなことは自分一人では出来ません。村役場の秋元さん、橋本さん、漁船の船長さんを始めとする 小泊村の方々、国際海峡倶楽部の越智さん、そして共に挑戦した大会参加者の皆様に感謝致します。また、少ないであろう 運営費の中から、このような立派な完漕証明書と航海図入りのTシャツが頂けた事を思うと、後援の(株)ミナミさんには 是非次回もサポートして頂けたらなあと願うばかりです。最後に、清水さんを始め、出場への後押しをしてくれた数多くの 方々にお礼申し上げます。 |